サラの裁縫箱

リングピロー製作日記

関西弁

13年前の今日、阪神大震災がありました。
私も神戸で被災しましたが、幸い家族も家も無事でした。
大切な家族を亡くした人にとっては辛い13年間だったと思います。
無事に生き延びた人間は、亡くなった人の冥福を祈る事と、遺族の方々の幸せをただ願うしかありません。


 今でも記憶に残っている事があります。
断水中に給水車にポリ容器を持って並んでいた時、前のおばさんの所に知り合いらしき女性が話しかけて来ました。
正確には覚えていないけど確かこんな感じの会話を(笑顔で)していました。
「いや〜無事だったん?心配したわ」
「うちは生きてるけど家はこけたわ」
「こけたって、のうなったん?」
「そうそう、だからここの小学校にいてんねん」
「そりゃ難儀やな」
などとしゃべりながら、ちゃっかり長い列の割り込みを果たしたおばちゃんに私は何も言えませんでした。
その時ふとこれが関東だったら、と言うより標準語だったらどうだろうと思いました。
「あら〜無事だったのね、心配したのよ」
「私は無事だったけど、家は壊れてしまったの」
「壊れたって倒壊したの?」
「そうなのよ。だからこの小学校に避難しているの」
「それは大変ね」
‥‥とまあこんな感じかな?
私は関東の人間なので、関西弁は正直押しが強過ぎて苦手でした。
でもこの時、深刻な事態をどこか笑ってやり過ごそうとする関西人の底力のようなものを感じました。
鉄道が復旧するまで神戸にいた私は関西弁が好きになりました。