サラの裁縫箱

リングピロー製作日記

震災の思い出

saradana2011-04-05

 阪神大震災の時、水道やガスの復旧に時間がかかり、お風呂に入れない日が2ヶ月以上続きました。
数週間後に設置された自衛隊の仮設風呂は住んでいた所から遠く、また避難所の人たちが優先と聞き、家が無事だった私たちは諦めました。
電気は早めに復旧したので、切ったタオルを水で濡らしてレンジでチン、熱いおしぼりを作って体を拭いてしのいでいました。
1ヶ月経ってやっと西側の鉄道が復旧して姫路にお風呂に入りに行きました。
 3月に入った頃、新聞だったかテレビだったかで、近隣府の旅館が通常の半額で宿泊できる被災者向けのサービスをしていると知り、広いお風呂につかって手足を伸ばして、据え膳の温かいご飯を食べたいと、父の了解をとって母とふたりで申し込みました。
当日、まだ鉄道の復旧していない区間をバスで乗り継ぎ、やっとの思いで神戸から脱出しました。
宿までどれくらい時間がかかるか分からなかったので、早い時間に家を出た私達はチェックインの時間前に着いてしまいました。
仲居さんは「大変でしたね」と声をかけてくれましたが、通された部屋は狭く、窓からは隣の建物しか見えず、なぜか入浴の時間を指定されました。
お料理も冷めていて品数は少なく、廊下で見た他の部屋の食事とは内容が違っているようでした。
旅館にしてみれば、私たちは利益の出ない、清潔とは言い難い迷惑な客なのでしょう。
応援と銘打ったキャンペーンのはずなのに、残念ながら被災者を思いやる温かい気持ちは感じられませんでした。
半額だから仕方ないと思いつつ、差別を受けたようで悲しくて、こんな思いをするくらいなら来なければ良かったねと、母とふたり翌朝早く神戸に戻りました。
 今回の震災で温泉施設を無料で解放した旅館のオーナーが「喜んでもらえて本当にうれしい」と涙ぐみながら笑顔で言っていた様子を見て、あの時こんな人達に迎えてもらっていたら帰り道はもっと心がホッコリしていたのだろうと思いました。
 被災者への支援や理解は阪神の時の方が時間がかかったように感じます。

写真は本覚寺の枝垂れ桜。。。もう満開です。